タバコ休憩はチャンスタイム

前の会社に勤めていた時、私がいた部署のフロアには喫煙室が隣接してあった。

業界柄喫煙者は非常に多く、同じ階の多くのほとんどの者が勤務中タバコを吸う為だけに席を立っていた。

俗に言う「タバコ休憩」というものだ。

 

 

一方で大学体育会でタバコを咥えたことすらない私にはもちろん「タバコ休憩」は存在しない(会社には大学体育会でその頃から吸っていた者もいたがそんな者は真の体育会ではない)。

 

しかし数時間ずっとパソコンに向き合って作業することは目も疲れるし、実質不可能。

当然どこかのタイミングで席を外してリフレッシュすることもあれば、少し飲み物でも買いに行くこともある。

 

しかしほんの数分席を外して戻ってきた時に何故か上司に苦言を呈される。

 

「お前そんなしょうもない休憩している暇があったらとっとと仕事終わらしてすぐに帰れや」

 

 

細かくセリフを覚えているわけではないが大筋こんなところだろう。

 

そもそも大前提として営業職だった私には固定の営業手当が支給されていて、その分残業代は一切発生しない。

つまり仕事はなるべく早く終わらせてなるべく早く帰った方がいいのだ。

時代的にも36協定や時間外労働の問題などが取り沙汰されていて、無駄な残業はするなという風潮だ。

 

上司もそれをわかっているから早く帰らせようという意思があるのは理解できる。

それに早く帰りたいのはこちらも同じだから意見は一致している。

 

 

ただ見解の相違がある。

しょうもない休憩とは何だ?

 

あなた方がタバコを吸っていた時間はしょうもある休憩なのか?

何の違いがあるのかさっぱりわからない。

なんなら頻繁に席を立つ喫煙者の方がよっぽどたちが悪くないか?

 

 

とどのつまりタバコも飲み物も、気分を入れ換える為だったりストレスを和らげる為にしていることだ。

個人の理由でしかない。

それがしょうもないのであれば勤務中は席を立つこと自体ができなくなってしまう。

私はどのみち残業代が発生しないから大したことではないが、部署によってはタバコを吸っている間にも残業代が発生している人もいるはずだ。

客観的に見て平等とは言い難い。

 

 

個人的にタバコの臭いは嫌いだし身体に悪いから吸わないが、吸う人をわざわざ咎めようとは思わない。

ただ自分を棚に上げて正当化しているのは腑に落ちなかった。

 

 

 

 

今は三密となる喫煙室は禁煙室となっているケースがほとんどではないだろうか。

喫煙者は気の毒だがこれで平等っちゃ平等だと思う(それでも外の吸える場所とかまで行って結局喫煙室行くより時間かかりそうだが)。

 

 

 

 

そんな会社の元同僚から今度キャンプでもしないかというお誘いが先日来た。

こうやって会う機会が無くなっても誘ってくれるのは単純に嬉しい。

 

コロナ次第ではあるが、行ける状況ならば是非楽しみたいと思う。

ポテトサラダにみかん 猫に小判

ポテトサラダにみかんを入れる食べ方があるらひい。

ポテトサラダフリークと自称しながらこんなメジャーな組み合わせを全く知らなかった。

これは赤面。

 

どうやら聞くところによるとこの食べ方は酢豚にパイナップルくらい有名だそう。

 

 

 

早速試してみるべ。

 

 

買ってきたみかんの缶詰をポテトサラダに投入。一口食べる。

うん、そうよなそうなるよな。

どんな感じだったかというとポテトサラダにみかんの缶詰を入れたような感じだった。

 

直球ど真ん中ストレート。

そう、そのままでしかないのだ。

なに革新的な変化があるわけでは無く想像通りの味。

それ以上でもそれ以下でもない。

 

個人的には別に要らないと思ってしまった。

 

 

 

 

酢豚にパイナップルもかなり意見が分かれるところだが、経験則的には批判的意見の方が多い気がする(ポテトサラダのみかんに対する私のように肯定でも否定でもない人が多いから肯定の声が挙がりづらいのもあると思うが)。

 

 

そのルーツは中国がまだ『清』だった時代まで遡るそうだ。
欧米出身の外国人が多く住む上海にて料理人が高級感とはなんぞやという試行錯誤の後、当時は非常に貴重だったパイナップルを酢豚に入れることを思い付いたそう。

 

今考えるとラーメンにキャビアぶち込みましたみたいな短絡的な発想なように思えるが、これが現代まで受け継がれているということを考えるとそれなりに人気が出たのだろう。

 

 

 

 

日本人はおかず=甘くないものというイメージが強いから中々受け入れ難いのではないかも推測できる。

 

たしかにポテトサラダはサラダと銘打ってるものの、じゃがいもは思いっきり炭水化物だし、もはや惣菜みたいなものだ。

アレンジを加えようと思うとカリッカリのベーコンを入れたり明太子と和えてみたりと食べ応えを求めた完全におかずの発想。

 

そこに甘みを加えるのはなんだか肩透かしな気がする。

 

ただポテトサラダは無限の可能性を秘めたバリエーションの鬼料理であることは間違いない為、その未来を否定するような発言はよしておこう。

 

https://papiconoco.hatenablog.com/entry/2020/01/17/225506

 

 

 

f:id:papiconoco:20200715234857j:image

 

生粋のポテトサラダ(並に演技に幅がある)俳優、高良健吾

 

夢なんて言ったもん勝ち

当たるも八卦当たらぬも八卦

占いは、当たることもあるし外れることもなるものなのだから、占いの吉凶は気にするなという意味。

 

主に悪い結果が出たときに使うことが多いだろう。

 

 

 

正直こんなこと言われたら占いなんて元も子もなくなってしまうが、こういうポジティブなマインドは本当に重要だと思う。

 

元々占いに良いイメージを持ってない私だが、ちょっと見方が変わった時に書いた記事はこちら

https://papiconoco.hatenablog.com/entry/2020/06/03/223808

 

 

 

 

そもそも予言とか占いとかは当たった時ばかりフィーチャーされて当たらなかった時は単純に記憶から忘れ去られていることが多い。

当たらなかったら話題にすらならないからだ。

 

 

 

つまり占いは言ったもん勝ち。占いされる方は言われたもん勝ちだ。

当たったら儲けもん程度に思っていればデメリットが一切ない。

 

 

 

これは別に占いに限ったことじゃない。

なにか今年運命の人と出会える気がするとか

仕事で大きな契約もらえそうとか

そんな個人レベルの予感なんて言ってなんの損もないのだ。

現実にならなければまあそんなもんよなで終わり。

私はギャンブルは嫌いだが、負けようがないギャンブルに乗らない手は無い。

 

 

 

 

予感というていで目標を口に出すことで運気が向いてくることもあるかもしれない。

基本ネガティブ思考な私だからこそ、ポジティブな発言をし続けようと意識している。

 

言うなればこのブログだってポジティブな発言をしようという過程を書いているといっても過言ではない。

一人で解決しようだとか物理的にも精神的にも引きこもりがちだからこそ、発信をし続ける意識を持とうという主旨だ。

 

 

夢でも目標でも野望でも言うことに罪も無ければ損も無い。

言いまくろ。

 

 

 

あ、そういえば今年の下半期からお喋りの仕事がいっぱい出来る気がするな。

雪崩れ込む気がする。

てかもう確信。

下半期忙し過ぎて半端ない。

猫の手借りまくり。

間違いない。

 

 

 

魔貫光殺砲とかいうロマンの塊

好きな必殺技はなんですか?

と聞かれたら間髪入れずに答えるだろう。

 

 

魔貫光殺砲(まかんこうさっぽう)と。

 

 

 

言わずと知れた少年マンガの金字塔『DRAGON BALL』にて、かつて世界を恐怖に陥れたピッコロ大魔王の息子であるピッコロの必殺技だ。

f:id:papiconoco:20200714183102j:image

 

額に二本指を立て気を集中させ、瞬時に解き放つ一本槍。

あまりに多くのエネルギーを要する為、気を溜めるのに時間がかかってしまうという弱点がある。

しかしその威力はまさに一撃必殺。

当時圧倒的な格上であったサイヤ人ラディッツを悟空ごと貫き、

結果的に地球の脅威と因縁の宿敵の両方を同時に倒すという快挙を成し遂げている。

 

 

 

 

魔貫光殺砲のここがすごい!】

①字面でどんな技かすぐわかる

②工夫次第でジャイアントキリングを起こせる少年マンガ

③明確なデメリットとそれに釣り合ったリターン

④女子高生にも人気

f:id:papiconoco:20200714185741j:image

実は7年ほど前、こちらの写真が

マカンコウサッポウ!!!!!!!

というコメント共にTwitterに投稿された。

 

この写真をきっかけに「吹っ飛んでいる風」の写真のブームが巻き起こったのだ。

 

 

もちろん魔貫光殺砲はこんな風に複数人に対して使うことはなく、まして吹き飛ばすようなような技でもない。

投稿者の女子高生によるとどうやら彼女は魔貫光殺砲のことは知らなかったらしい。

 

参考

https://liginc.co.jp/omoshiro/diary/27719

 

友達がよく「マカンコウサッポウ!」って言葉を使っていてたそうだ。

なんとなく響きが面白く感じて、言葉の意味はわからないまま使うようになっていたと語っている。

 

 

その友達が意味がわかっていたかはさておき、世代を超えDRAGON BALLを知らない女子高生にも愛される言葉の響き。

かっこよさとは説明できるものとは限らない。

 

連載当時ジャンプを読んだ心を踊らした少年たち、

数十年後コミックスを買って惚れ込んだ私、

言葉の意味は知らないまま結果的に「魔貫光殺砲系女子」となった女子高生、

 

 

誰も皆魔貫光殺砲の魔に魅せられた者たちと言えるだろう。

 

時代は繰り返す。

いつかまた魔貫光殺砲が流行り、ピッコロが日本、ひいては世界を牛耳る日も遠くはないだろう。

 

 

魔貫光殺砲!!

駅前でカラオケする奴

四条や三宮に梅田、関西でも有数の都市では駅前にミュージシャンが出没する。

 

ゆずやコブクロなどストリート上がりでスーパースターになったアーティストも数知れず。

彼らの背中を追いかけ、歌手志望たちはギターをかき鳴らす。

路上ライブは夢への第一歩だ。

 

 

 

しかし駅前でミュージシャンと称してカラオケをしている人たち、彼らの意図がよくわからない。

ミュージシャンはみな大なり小なりなにか表現したいことがあってそれをメロディーに乗せて歌っているものだと勝手に解釈している。

 

 

が、彼らは人のふんどしで相撲を取る。

演奏をしているならまだいい。

音源流して本当にただ歌だけ歌っているのは不思議で仕方ない。

 

 

よく見るYouTubeの「歌ってみた」系の動画と同じものだと思うのだが、あれは元々何かしらの方法で有名になった人がやるから価値があるのであって

無名の新人の「歌ってみた」はただのカラオケと同じだ。

ミュージシャンという言葉の定義自体が曖昧だが、彼らは本当にミュージシャンか?

 

 

 

 

アカペラだったり、バージョンを変えたり、何かアレンジを加えたりで個性を出すというのならわかる。

全く知らない曲より聴き馴染みのある曲の方が

立ち止まって聴いてもらいやすいだろう。

 

だから自分を表現するための手段として、あくまで一旦気を引くためのカバーソング。これならわかる。

 

 

だが何を足すでも引くでもなく、ただ原曲の音源を垂れ流し、そこに自分が歌を乗せるだけなのは本当にカバーか?カラオケじゃないか?マスターベーションにすぎないんじゃないか。

 

 

 

という批判的な言葉が吐いた自分に戻って来て、喉元に突き刺さる。

私も個人としてメディアに出ようとしているという広い意味では彼らと同じような状況にある。

 

自分の喋りは誰かの真似事になっていないか。

カラオケをしてしまってはいないか。

客観的に見てみないとわかるはずもない。

人のことを批判する暇があったら自分を磨かなくてはならない。

こんなん言うてるだけやったらあきまへんな。

 

 

彼らの歌がカラオケだとしても、カラオケボックスでカラオケしてる人よりは一歩進んでいるのは間違いない。

私もそろそろカラオケを脱却せねば。

 

延長は不要だ。

 

一生のお願い

必死に練習して来た大一番の部活の試合で勝てなかった。

 

試験範囲を勘違いしていて徹夜で勉強したところが一切テストに出なかった。

 

仕事でとんでもないミスを犯し、上司にこっぴどく叱られた。

 

 

 

たとえどんな失敗を重ねたとしても私は諦めることはない。

なぜなら私はまだ「一生のお願い」を使ったことがないからだ。

 

 

 

 

「一生のお願い」とは命を賭してでも叶えたい願いがある時に発動する。

基本的に人に頼むのが苦手な私はこれを未使用のまま、24年を生きてきた。

 

いつどんなタイミングでこの願いを使おうかと考えてみる。

一生のお願いを使うタイミングを誤っては取り返しがつかない。

一生に一度なのだから。

 

 

好きな物は後で食べる派の私は、一生のお願いを使うことに躊躇し続けて今まで生きてきた。

(ポテトサラダは前菜として名を馳せているため、この場合は例外となる)

もっとお願いしたいことが今後出来たら…と思うとあと一歩踏み込む勇気が出ない。

 

 

 

 

そもそも願いといってもドラゴンボールじゃあるまいし人知を超えた力で何でも思い通りに出来るわけじゃない。

あくまで人に頼める範囲のこと。

 

 

パッと思いつくのはお金に困った時にお金を貸してもらうことだが、あまりにも味気なさすぎる。

 

 

生きるか死ぬか本当に切羽詰まった状況なら使わざるを得ない。

例えば私が大怪我をして何か血液やら臓器やらを人から提供して貰わないといけない状況になった時とか。

んーあまりにもネガティヴ過ぎて想像したくもない。

 

 

 

 

やっぱりどうせならちょっとした贅沢を演出するようなポジティブな願いがいい。

 

となると一生に一度でいいからNBAを生で観戦したい。

それがNBAファイナルという最高の舞台ならなお良い。

更に欲を言うなら八村塁選手が出場する試合であって欲しい。

もしそうなら意外と近い未来のことになるかもしれない。

 

 

 

 

これまで何回も一生のお願いを使ってきた不届き者は去れぃ!

 

二面性のある彼

オレ…実は室伏広治の隠し子やねん

 

 

友人からこんなセリフを吐かれた時、あなたならなんと返すだろうか?

 

 

 

嘘つくな!

 

 

当然だ。

室伏は確かに数年前に結婚したが、現時点ではその子息の存在は確認されていない。

もし本当に子供がいようものなら類稀なる運動能力を発揮し、各地のちびっこ運動会でメダルを総なめにしているに違いない。

 

 

もしくはこんなセリフを吐くのではないだろうか。

 

 

 

嘘つけ!

と。

 

 

 

この場合の「嘘つけ」は表面上は嘘をつくことを強制しているが、嘘をついていることを非難していることを表す。

つまりその実状はむしろ「嘘つくな」と同じ意味なのだ。

 

 

なんと不思議な日本語。

「嘘つくな」と「嘘つけ」が同じ意味だなんて外国人は理解出来ないんじゃないだろうか。

 

 

このように使われる状況によって同じ文でも意味が変わりうることというのは度々あるようで日本語の奥の深さを再認識させられる。

 

「嘘つけ」の場合

「嘘をつく」という行為が実現されていない状況では文字通り「嘘をつくことを命令する」意味になり、

「嘘をつく」という行為が既に実現されている状況においては「嘘をつくこを非難する」意味となる。

参考

https://www.alc.co.jp/jpn/article/faq/03/113.html

 

 

 

 

 

このような難解な構文を古くから使いこなしている人物を私は一人知っている。

 

 

f:id:papiconoco:20200628231746j:image

 

 

 

そう、ダチョウ倶楽部の面々だ。

上島竜兵が熱湯の入ったバスタブに足をかけた時言い放つ「押すなよ押すなよ」は「押せ」という意味である。

 

 

 

と無理やり関連付けるならこんな感じだとは思うが、このように「やるなと言われたら余計にやりたくなる現象」のことはカリギュラ効果と言うらしい。

んーなんか話が拗れてしまった。

とりあえず今後も記事は読むなよ!