滉に生まれて24年

昨日の続き。

今度は私の下の名前である「滉」(ひろし)の由来について話し始める父親。

 

 

母親が良く言えばインスピレーション、悪く言えばなんとなく「ひろし」という音だけは決めていたらしい。

 

そして私の兄の名は「淳」(あつし)。

父親にはこのさんずいにこだわりがあったらしい。

 

 

 

水に日光で「滉」。

日の光を浴び、水を吸って大きく育つようにと願いを込め、その名をつけたそうだ。

 

 

 

 

私は元々この「ひろし」という名前が同級生と比べて古臭く、好きじゃなかった。

何故ならクレヨンしんちゃんのお父さんや、ちびまる子ちゃんのお父さんなど明らかに自分より二世代ほど前の名前のように感じていたから。

もちろんそれでバカにされることもあった。

 

 

また芸人の「ヒロシ」が大ブレイクを果たした時もまあーーー学校でイジられたこと。

ヒロシの本名が齊藤健一だと知った時には憎悪を覚えた記憶がある。

 

 

 

また、滉という漢字も一回で「ひろし」と読まれたことがない。

「こう」だとか「あきら」だとか。

説明するのもめんどくさくてありゃしない。

 

なんでこんなだるい名前にしたのかと少し苛立ちすらあった。

 

 

 

 

 

大学に入り部活動を続ける中でいつの日か、なぜか下の名前で呼ばれる機会が増え始めた。

 

人間不思議なもので、呼ばれると慣れてくる。

初めはバカにされていると思っていたのにそれが当たり前になるとなんの違和感も無くなる。

 

 

今まで自分が被害妄想的に「ひろし」を嫌っていただけで、実は大したことじゃなかったと思うようになった。

 

なんなら同世代に同じ名前の人間がいないってオンリーワンでかっこいいとすら思い始めた。

このことに20年生きてやっと気づけたから、大学の仲間たちには感謝している。

 

 

 

 

 

そして昨日初めて聞いた「滉」の意味。

 

今はこの名前が大好きだと胸を張って言える。

 

 

「ひろし」という名を聞いて一番に思い浮かべるのが芸人のヒロシならば、

芸人のヒロシを超えるほど売れればいい話。

 

 

 

 

水を飲んで日の光を浴びて今日も行く。

 

滉でした。