初めての裁判 変わる価値観

人生で一度だけ裁判を見に行ったことがある。

高校1年生の夏休み、希望者のみ参加できるといったもので、神戸地方裁判所にてとある事件の第一審を傍聴した。

 

 

 

 

被告人は20代の男性。

事件は白昼の牛丼チェーン店にて起こった。

被告人が牛丼を食べ終わった後、財布を持ち合わせていないことに気付く(確か妻に預けていたことを忘れていたとかなんとか)。

 

後で払いに来ると言い残し、担保として自分の携帯電話を店に置いたまま店を後にした。

 

その後被告人が財布を持って牛丼屋に現れたのは夕方頃であった。

しかし昼間にいたスタッフは全て入れ替わっており引き継ぎが不十分だったため、

被告人の携帯電話の行方がわからないという事態になってしまった

(確か店の金庫に入れていたことが後で発覚したとかだった気がする)。

 

 

預けたはずの携帯電話がすぐに出てこないことに激怒した被告人は、お店の割り箸を掴んで暴れ回ったという。

そこで警察が出動し、現行犯にて御用、といった流れだ。

 

 

 

また被告人は留置所でも罪を重ねる。

留置担当館に自分の小便の入った紙コップを投げつけたという。

なんとも幼稚な抵抗である。

 

 

 

 

 

 

 

被告人は長袖を着ていたが、夏ということもあり生地が薄く、背中に入ったタトゥーが透けて見えていた。

反省の弁を述べるからの声は弱々しく、今にも泣き出しそうなか細さだった。

聞けば子供もいるという。

 

きっとこんな事件は世間一般からすると大したことない事件で、ニュースで耳にすることなどないだろう。

正直裁判が始まる前に引率の先生から事件の概要を聞いた時ショボすぎて笑いそうになったのを覚えている。

 

 

 

ただいざ裁判が始まるとそこにあったのは一人の人間の人生だった。

いや妻子ある身としては一人どころの話ではない。墨の入ったその背中には家族の命を背負っているのだ。

私の考えはテレビのニュースやドラマでしか裁判を見たことしかないものの浅はかなものだったと気付いた。

 

こんなに重いのか…。

よく考えれば当たり前のことなのかもしれないが、私は人の人生がかかっている瞬間に立ち会っている。

これがフィクションではなくリアルだ。

 

 

 

彼が当時どんな思いでその罪を犯したのかはわからない。

実際反省なんてしていなくても罪を軽くする為、その場では反省していると述べるだろう。

それでも許して欲しいという気持ちは紛れも無くリアルなのだ。

 

 

 

事実は小説より奇なりという言葉があるが

ここにあるのはフィクションより奇妙じゃなくても、他の誰もが経験し得ないオリジナルなものだ。

その人にとっては誰よりも奇だ。

 

 

彼は有罪判決を受けた。

どんな刑罰を受けたかまでは覚えていないが、確か前科があったとかで拘留ではなく禁固だった気もする。

 

 

他人事だからこそ客観的視点で傍聴出来るが、他人事だからこそその重みを感じた一日だった。