悪の美学
昔から悪役というものに一定の憧れがある。
もちろん全ての悪役が好きなわけではない。
悪の中でも自分なりの哲学や考え方がハッキリしていて、その中で主人公と対立する者。
そもそも悪役とは言うものの、そこには明確な善悪の線引きは必要ないと思っている。
たまたま主人公とは違う信念を持っていたからぶつかったというニュアンスだろうか。
魅力的な悪役には美学がある。
例えば『るろうに剣心』に登場する志々雄真実。
「京都編」のラスボスとして登場する彼には作中でも屈指のカリスマ性を感じる。
恐怖や力による支配ではなく彼の考え方に心酔し協力する部下が多かった印象だ。
るろうに剣心主人公の緋村剣心は幕末期、人斬り抜刀斎として暗殺稼業、つまりは政府の汚れ役を担っていた。
志々雄真実は剣心から影の人斬り役を引き継いだ男だ。確かな剣の腕で確固たる地位を築きつつあったが、その多大なる野心を味方に危険視され奇襲に遭い、代償として全身に大火傷を負う。
弱々しい新政府への不満が募り、明治政府の転覆を目論んで志々雄一派を結集。
弱肉強食を理とする新たな混沌の世界を目指している。
彼は多くの人を殺してきた間違いなく悪人である。
しかしそれ以上にその考え方・生き様というものには何故か納得させられてしまう部分があるのだ。
彼は暴力による恐怖統制を行っていたのは事実だか、彼を崇拝する狂信者のような部下がいたことも事実で、一定の支持は確認されている。
何が悪で何が正義かそこは重要ではないと思うのだ。
また、もっと視野を広げて見てみると『アンパンマン』におけるばいきんまんも魅力的な悪役といって差し支えないだろう。
彼の目的はいたってシンプル。
アンパンマンをやっつけることが生きがい、だそうだ。
世界征服などといった先のことを企んでいるわけではない。ただ目の前のアンパンマン打倒。
それが目的。
しかしここにはやなせたかし先生の熱いメッセージが込められている。
やなせ先生曰く
生きるということはバイキンとの戦いを避けて通ることは不可能。
健康であるということは善玉菌と悪玉菌のバランスが良好な状態。
だから、アンパンマン対ばいきんまんの戦いは永久に繰り返される。
とのこと。
光と影そのものであり、お互いの存在がヒーロー及びヴィランたらしめているのだ。
生きることそのものが美学に直結している。
『スターウォーズ』のダースベイダー
『ハリー・ポッター』のヴォルデモート
『DRAGON BALL』のフリーザ様
『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨
『HUNTER×HUNTER』のヒソカ=モロウ
魅力的な悪役は作品の深みをぐっと増してくれる。
最後に『ONE PIECE』のヴィラン、王下七武海の一角ドンキホーテ・ドフラミンゴの言葉で締めたいと思う。
海賊が悪!? 海軍が正義!?そんなものはいくらでも塗り替えられてきた!!
平和を知らねぇ子供共と、戦争を知らねぇ子供共との価値観は違う!!
頂点に立つ者が善悪を塗り替える!!
今この場所こそ中立だ!!
正義は勝つって!?そりゃそうだろ!!
勝者だけが正義だ!!!