木曜日は二度やってくる
さあリズムに合わせてご一緒に!
♬Sunday, Monday, Tuesday,
♬Wednesday, Thursday,
♬Thursday, Friday, Saturday,
♬Sunday comes again.
HOOOOO!!!
いや木曜日二回来とるがなぁ!!!
Sundayがcomes againする前にThursdayがcomes againしてますやん。
西松屋のCMなどでもお馴染み、この歌は子供向けの曜日の覚え歌でタイトルが『Sunday, Monday, Tuesday,』というそう。
邦題が『曜日の歌』、そのままだ。
本当に幼い時は曜日の英語がわからなかった為、あまり疑問に思わなかったがどう考えてもおかしい。
メロディに合わせる為とはいえ、木曜日を二回言うというのは覚え歌としてはあまりに愚かな行為に思える。
もしそれまで全く曜日という概念を知らなかったら、曜日が8種類あるものだと勘違いする恐れがある。
むしろこの歌の理解が乏しかった頃には「あれ?なんか合わなくね?」と狼狽した記憶すらある。
ただ、英語の綴りでいうとThursdayは間違いなく一番難しい。
英語が高校レベルでストップしている私からすると、発音からスペルを全く想像出来ない。
Tuesdayとごっちゃになる危険性も孕んでいる。
さながらfather.mather.sunに比べて明らかに難易度が高いdaughterのような存在といっていいだろう。
無茶苦茶余談だが、私は中1の英語のテストでdaughterがわからずmusumeと書き、先生に嘲笑われた過去がある)
大事なことなので二回言う、木曜日には気をつけろという意味で繰り返したのかもしれない。
個人的には週一のレギュラー番組が木曜日なので、二回続くなら嬉しいけどね!
車車車、車三つで…
小学生の時、水曜日のフジテレビは最強だった。
19時〜クイズ!ヘキサゴンⅡ
20時〜はねるのトびら
21時〜トリビアの泉
22時〜水10!ワンナイR&R
22時30分〜ココリコミラクルタイプ
この流れは完全無欠。お風呂に入るタイミングなど一切なし。テレビにかじりつくように見入っていた。
この4時間はどの番組も大好きだったが、個性的なキャラクターが脳裏にこびりついているのはやはり『ワンナイR&R(ロックンロール)』だろう。
ガレッジセール・雨上がり決死隊・DonDokoDon(ぐっさんこと山口智充と平畠啓史のコンビ)からスタートした番組だが、
途中からは小池栄子さんやペナルティもメンバーに加わり、コント番組としては個人的に伝説の番組だと思っている。
恐らくこの番組きっかけで最も有名なキャラクターはゴリさんが演じたゴリエだろう。
(久々に見たらパンチ効いてんな…)
そんなゴリエと対を成す人気キャラクターといえば宮迫さんが演じる
車車車、車三つで轟ですでお馴染みの轟さん!!
もうこんなん絶対おもろいやん…
この一瞬の写真だけでめちゃくちゃおもろいですやん…。
轟さんのキャラはなかなか説明が難しいのだが、いわゆる男すぃが好きな男色家で、
「そいや」や「ギューン」といった奇声を度々発する。
もうその身振り手振り一挙手一投足が全て面白くて、轟さんが登場する度に爆笑していた記憶がある。
そして彼の自己紹介フレーズが「車車車、車三つで轟です」なのである。
当時小学校で「車」というフレーズが出てくる度に一人で「車車車、車三つで轟です」と言って爆笑してたのだが、
周りにあまりワンナイを観ている人がおらず、私一人でめちゃくちゃスベッていた。
こんなおもろいのに…と辛酸を舐めるような思いをしたのが私の苦い思い出だ。
そんな私の青春の1ページを彩った『ワンナイ』が終了してから14年…。
あの個性的なキャラクター達とはもう会えないものだと思っていた。
しかしこの度(というかまあまあ前だが)宮迫さんのYouTubeチャンネルで轟さんが復活を遂げた!
フジテレビから許可を貰って復活したということでなんかもうそれだけで感動だが、やっぱり見ていると無理やり笑わされる。
こんなん絶対おもろいやん…。
何も考えずアホになって笑えるというのは幸せだ。
ギューン!!
基礎はなぜ基礎なのか
どんな物事にも基礎がある。
何かトリッキーなことをやろうにもまず基礎がありき。
基礎を疎かにしては良いものは出来上がらない。
勉強でもスポーツでも仕事でも全て同じことが言える。
今回はNBA歴代最高のパワーフォワード(桜木花道のポジション)であるティム・ダンカンを例に挙げて基礎の大切さを学んでいきたいと思う。
『The Big Fundamental』
サンアントニオ・スパーズ(2016年引退)
ポジション:パワーフォワード
【主な受賞歴】
5× NBAチャンピオン (1999, 2003, 2005, 2007, 2014)
3× NBAファイナルMVP (1999, 2003, 2005)
2× NBA最優秀選手賞 (2002–2003)
No.21 サンアントニオ・スパーズ永久欠番
今回はダンカンはあくまで例として紹介するだけなので手短に。
彼は非常に地味なスーパースターだ。
ジョーダンのように空中を舞い華麗なダンクをぶちかますわけでもなければ、
カリーのように信じられない程遠い位置からスリーポイントを射抜くわけでもない。
ダンカンは決して身体能力や備え持つスキルが突出していたわけでないのだ。
彼のプレイは誰もが真似し得るものだった。
相手をよく見る、
横が空いているならドライブで中に切れ込む、味方が空いているならパスをする、
自分が撃てる位置にいるならシュートを撃つ、相手にリバウンドを取られないようポジションを取る、
その全てが基本に忠実だった。
安定感・正確性、そしてスター選手ながら一切傲るがことないというチームへの献身性。
彼は誰にでも出来ることをただ愚直にやり続けた。
彼のプレイは華がなく、時には「boring(退屈だ)」と批判されることもあった。
しかしそんな批判を一切気にすることなく、ダンカンは彼のバスケットを貫き続けた。
バスケットの教科書とも評されるダンカンのプレイは基礎中の基礎を磨きにかけたもので、故に隙が無く、攻守共に最高クラスの選手としてリーグに君臨した。
また身体能力に頼ったプレイスタイルではなく彼の強さは積み重ねた技術によるものだった為、
選手生命が非常に長く、入団当初から引退まで常にトップクラスの選手であり続けた。引退年はなんと40歳にもなっていたが、衰えても尚ダンカンはダンカンであった。
結果的に彼の所属したスパーズはダンカンのキャリアの19年間で5回の優勝、ダンカン個人としては2回のシーズンMVP、3回のファイナルMVPを受賞し、歴代最高のパワーフォワードと評されるようになった。
【バンクショット】
ダンカンの必殺技といえば「バンクショット」。
どんな技かというとバックボードに当ててシュートするという撃ち方である。
そう、体育の時間とかで「あの四角形の角の部分を狙うんだよー」のシュートである。
感の良い者であれば体育の時間だけで出来るようになるこのシュートこそがダンカンの必殺技なのだ。
基本に忠実な彼を物語るような技で、ただそれだけなのだがそれが中々止められない。
【基礎とは】
さあここまでダンカンを例に挙げてきたが、私が言いたいことは彼は基礎の最終形態にあったということだ。
基礎が基礎たる所以、それは基礎だからだ。
基礎が基礎と呼ばれるに至るまで、あまりにも多くの人の考えの果てに基礎は出来上がった。
つまり基礎は一つの答えであり、ある種の真理であるはずだ。
「基礎はこうしろって言ってるけど実際こうじゃない?」などといった考えを何千周もしたのちに基礎は出来上がっていると思っていい。
何万人・何億人もの先人の試行錯誤の結果こそが、基礎なのだ。
そんな基礎を疎かにしていいはずがなく、むしろ基礎を磨くことこそが、成功への一つの答えなのだとダンカンが教えてくれた。
NBAという自分とは遠く離れた次元の舞台ですら、基礎の重要性は確かなものである。
ならばスポーツに限らず、全てのことで基礎を学び続ける意欲が必要だ。
基礎的な練習しか出来ず、応用を学びたくて焦る時は彼のメンタリティを思い出そう。
小さなことからコツコツと。
鶴瓶は僕らを裏切らない
食品メーカーや飲料メーカー各社は昨年3月を契機に多くの商品の値上げを発表した。大型ペットボトル商品や、インスタント食品、乳製品、アイス、調味料といったものが対象だ。
値上げの原因として、ほとんどのメーカーは原材料や資材価格、人件費、物流費の高騰など様々。
とりわけ飲料水は900ml以上や1.2L以上など各社でわずかな差はあれど、共通して大型のペットボトル商品は値上げとなっている。
値上げ幅は20円という商品が多いが、一部30円以上値上げされる商品もあり、我々消費者からすると中々の痛手である。
大型ペットボトルに限らず、500mlの商品もこっそり値上げされていたり、
「パッケージリニューアル」と銘打って内容量を減らし、実質値上げをするいわゆる「ステルス値上げ」をする商品も多々見受けられる。
そんな中我々の味方であり続ける最強のお茶がある。
伊藤園の『健康ミネラルむぎ茶』だ。
この商品は時代に逆行しむしろ増量を行うというまさかまさかの大盤振る舞い。
ペットボトル飲料といえば500mlが標準的だが、2015年には600ml、630ml、650mlの増量タイプを発売した。
これらのメーカー希望小売価格が全て一緒で、私みたいな貧乏性はなるべく大きいのを買いたくなってしまいたくなるじゃないか!
今では670mlのコンビニ限定サイズもあり、問答無用でコストパフォーマンスが圧倒的最強麦茶なのである。
そしてなんといっても鶴瓶師匠の無垢な笑顔。これに尽きる。
鶴瓶師匠の笑顔を見ているだけでこちらもなんだかハッピーな気分になってくる。
かれこれ20年間『健康ミネラルむぎ茶』のCMに出演しているそうだが、長年愛されて続けているのも鶴瓶師匠の影響が大きいに違いない。
そもそも増量という競合他社とは逆のベクトルに舵を切れるのも根強いファンがいるからであろう。
暑い夏、鶴瓶師匠と一緒に乗り切ろう。
僕は僕、君は君
県民性というのはあるにはあるのだろうとは思う。
実際大学で色んな地域の人と出会って関西のノリと関東のノリの違いは感じたし、
地域差の話は誰とでも話せる鉄板の話題だからトークテーマによく挙がるのは理解できる。
ただ「関西人は全員こう!」みたいな偏り過ぎた印象を与えるのは賛同しかねる。
例えば
【関西人は「バンッ!」と銃で撃つ振りをするとリアクションしてくれる】
という話。
普通に、冷静に考えてみて欲しい。
せんくない?
そんなことわざわざせんくない?
仮にテレビの企画などで【実際に銃で撃つ振りをするとリアクションするのか!?】みたいな企画があったとして(そんなしょうもない企画無いと思うが)
テレビカメラが向けられているならばリアクションすると思う。
が、そんな状況でもなくただただ友達から急に「バンッ!」とやられた場合
普通にしない。
「は?」と真顔で返す自信がある。
むしろこのトピック自体がベタ過ぎて、「バンッ!」とやられたらリアクションしなければならないみたいな強迫観念があるような気すらしている。
では仮にだ!
「バンッ!」と撃たれて「うわーやられたー」などと倒れる振りをしたとする。
それおもろい?
めちゃくちゃしょうもなくない?
そんな大昔から存在する予定調和的なノリをやったところで盛り上がる未来は一切見えない。
小学生がやるならまだしも大人のやるノリではない。やるなら撃つ方がもっと工夫を凝らさないと撃たれた方のノリ損になってしまう。
確か『こち亀』の関西人の春というキャラ(写真右)が確か両さんに「バンッ!」と撃つ振りをした回があった。
両さんがそれに対してノーリアクションだったことに春が「ノリ悪いわー」などと怒号していたのだが、
これを読んでいた時、私は憤慨した。
「両さんそんなしょうもないことせんでええ!あんたが正しい!」
とジャンプに激昂していたのを覚えている。
こち亀は好きだ。だが好きだからこそこの関西人というだけで他に大した特徴もない春というキャラは
まさに絵に描いたような関西人のステレオタイプを植えつけてくるような感じが嫌いだった。
これを読んで関東の人は「関西人て全員こんな感じなのかな」と思われるかもしれないと思うと怖かった。
つい先日も「おでこにピッとして体温を計るタイプの体温計をやられると関西人は死んだ振りをする」みたいなtweetが回ってきて寒気がした(しかも数万いいね、数万リツイート)。
ほぼ毎日といっていい程おでこにピッとして体温を計ってもらっているが、そんなことをしたこともなければしている人を見たこともない。
まあそのツイートをした人の周りではもしかしたら本当にやっている人がいるのかもしれないが、
勘違いして欲しくないのは関西人にも色々いるよという当たり前の事実。
長くなったが言いたいことはただ一つ。
関西人・関東人である前に我々は一人の人間だ!
ということでマイケルジャクソンの『ブラックオアホワイト』でさよなら。
アイドルはラブソングを歌う
生まれてこの方アイドルにハマったことがない。男性アイドルもたくさんいるが今回は特に女性アイドルについて書く。
子供の頃に流行っていたモーニング娘。も
中学時代に一世を風靡したAKB48やKPOPも
結局ハマることなく青春時代は終わった。
別にアイドルを毛嫌いしているわけでなく、応援するスタンスがよくわからないのだ。
アイドルに恋愛はご法度。
しかしアイドルが歌う歌はほとんどがラブソングだ。
この矛盾をどうにも理解できない。
アイドルが歌うラブソングの「あなた」は誰なんなんだ?
彼女たちのファンはどういう感情でラブソングを聴いているのだろうか。
恋人が存在しないと信じて架空の相手を歌っていると思って聴くのか。
それともアイドルの「あなた」を自分に投影し、自分のことだと思い込んで聴くのか。
いずれにしても個人的にはリアル感を得られず、あまり共感できない。
アイドルを見て「かわいい」とか「かっこいい」とか思うことがあっても、どこか自分とは別の世界の人間というか現実味を感じず一歩引いて見てしまうのだ。
そういう意味では観客との距離が近い、いわゆる地下アイドルに傾倒する方が理解出来る。
しかしその考え方だと
もしかして自分は「地下アイドルくらいなら付き合える」と思っていて応援しているんじゃないかという気がしてくる。
ファンの人はそんな邪な気持ちで応援しているのだろうか。いやそういう人も一定数いるかもしれないが、大半は違うような気がする。
知り合いのジャニーズファンの人は、応援しているアイドルのYouTubeの再生回数を稼ぐため、タブレットとスマホとパソコンで同時に彼の動画を1週間くらい流し続けたらしい(恐らくその人だけで再生回数、数百回程度はいってるはず)。
もうそこまでくると推しているアイドルと付き合いたいとかいう次元ではなく、無償の愛だ。
見返りを求めずそのアイドルに愛を注ぐことが出来る、真のファンには本当に感服する。
純粋な応援したいという気持ちが澄んでいる。
きっと私はそこまで出来ない。
それか単にまだビビッとくるようなアイドルに出会ってないだけか。
いずれ私にもアイドルを応援する楽しさがわかる日がくることを期待する。
ちょっと男子ぃ〜という通過儀礼
「ちょっと男子ぃ〜」とは男子の成長の過程で必ず通らなくてはならない関門である。
主に中学生など思春期真っ只中多感な時期にそれは訪れる。
文化祭などの演劇や、合唱コンクールにおいてクラスのリーダー格の女子から
ふざけてばかりでちゃんと練習しようとしない男子に向けて放たれる一言だ。
合唱コンクールの場合、指揮者及びピアノ伴奏者が言うことも多い。
悲しいかな、この一連の流れは誰も悪くないのだ。
もちろん注意する側の女子は正論を言っている。
クラスで一丸となって金賞を目指して努力することは素晴らしいし、周りを引っ張っていこうという姿勢は模範的と言えるだろう。
一見おちゃらけの男子が悪いように思える。
しかしこれは誤りだ。
男子も悪くない。
中学生男子は中々合唱コンクールで全力で歌うことが出来ない。
何故なら
「ちょっと悪びれてる方がかっこいい」だとか「そもそも人前で歌うのがちょっと恥ずかしい」だとか
「オレ本気出してねぇしという保険を常に貼っておきたい」といった様々な思惑が混在しているからだ。
本当は男子だって全力で戦いたい。
本気でやって金賞を狙いたいんだ。
しかし素直になることは容易ではない。
中学男子というのは意地とプライドだけで成り立っているような存在。
その唯一の柱が折れてしまっては学校で精神を保つことすら難しい。
いざ本気で歌おうものなら馬鹿にされることは必至。
「如何に余裕でいられるか」という水面下でのマウントの取り合いが常に行われているのだ。
如何に追い込まれようとも固い意志で余裕の表情を演じなければならない。
なんなら文化祭の演劇などやる前からとっくに大芝居をうっているということだ。
誰も悪くないのにクラスの仲がどうしても悪くなってしまうイベント。
それが「ちょっと男子ぃ〜」なのだ。
ここでポイントとなるのがリーダー格女子が「男子」と一纏めにしてしまっているということ。
男子の中にももちろん真面目に歌っている者もいるし、なんなら女子の中にも真面目に歌っていない者もいるだろう。
しかし男女の壁はベルリンの壁の如く巨大で
男子VS女子という構造が出来上がってしまう。
この後担任がキレたりして仲を取り持ち、なんやかんやでいい感じになってクラスが纏まるというのが黄金ルート。
似たような思い出は皆あるんじゃないだろうか。
かくいう私は4つ上の兄がいる為、なんとこの「ちょっと男子ぃ〜」があることを兄から聞いてしまっていた。
「何か''ちょっと男子ぃ〜''ていうイベントあるから気ぃつけや」
と予め忠告を受けていて尚且つ偶然大きな声で歌うことに全く抵抗がなかった私は結局中学時代に「ちょっと男子ぃ〜」を聞くことは出来なかった。
未だに大人になり切れていない気がするのはこの為だろうか…。
無理やりでも言ってよ、ちょっと女子ぃ〜。