『さよならテレビ』を観て

先週木曜の放送終了後、木曜の番組チームで宝塚はシネ・ピピアまで映画を鑑賞しに行った。

本来映画のレビューなどは観た直後に書くべきだとは思うが、中々書けなかったのには理由がある。

 

 

それはこの作品を私の中でうまく咀嚼し切れていなくて、いまいち落とし込めなかったから。

普通映画を観たら「おもしろい」「おもしろくない」など一言で形容できる感情が出てくるはすだ。

 

でもこの映画にはそれがなくて何か煮え切らない感というか歯痒さが残っている。

この記事を書いてる今ですら納得がいっていない。それでも書きたいと思うから書きます。

 

 

 

 

 

以下盛大にネタバレを含むので注意!!!

 

 

 

 

 

『さよならテレビ』

東海テレビ放送が2018年に開局60周年記念番組として放送したドキュメンタリー番組を再構成、再編集し、2020年1月に劇場公開されたドキュメンタリー映画

f:id:papiconoco:20200622190509j:image

 

 

【あらすじ】

「テレビの今」。

ディレクターであり本作品の監督である圡方が東海テレビ報道フロアに企画書を配る。

自社の報道部に密着し、昨今「マスゴミ」と揶揄されるようになったテレビ制作の裏側に迫るというような内容。

しかし密着の為に備えたカメラやマイクの存在は煙たがられ、圡方監督たちは非難されることとなる。

普段カメラを向ける側の人間が、いざ自分がカメラを向けられるとこうも反抗するのかと些か滑稽に見えた。

 

 

 

報道の使命である

①事件や災害を知らせる

②弱者を助ける

③権力を監視する

この3つは本当に守られているのか。

 

労働時間問題や正社員と派遣社員の格差。

 

ニュースを読む者としての立場。

 

実際に東海テレビにて働く人のリアルを通じて、テレビの苦悩・恐れ・決断を描く。

 

 

 

 

【3人の主人公】

この映画は3人の男性を主軸として話が進んでいく。

ナレーションは一切無い為、どういう解釈で観るかは人によって異なってくるかもしれない。

あくまで個人的な視点に基づいて書いていく。

 

 

 

 

 

 

①ベテラン記者 澤村さん

生粋のジャーナリストである澤村さん。もう50近くのベテランの記者だが、派遣社員である為、いつ契約が切られるかはわからない毎日を過ごしている。

彼の中には確かな信念がある。

過去に雑誌記者をやっていた頃には編集長と記事について一悶着あり辞めさせられたり、確固としたジャーナリズム論を持っている。

報道の使命とは何か、澤村さんは追求する。

 

 

2017年6月、共謀罪法案が成立した。

共謀罪とは実行されたかどうかにかかわらず、テロ組織や犯罪組織が行うであろう犯罪に加担した場合に罰則が科せられるという法律。

 

高層マンション建設の反対運動をしていた一般人の男性は、何も危害を加えていないにも関わらず突然逮捕された。

これは何か計画するだけで罪になる共謀罪に関わる事件だとして、澤村さんは逮捕された男性に取材をし、その無念を噛み締める。

 

共謀罪法案が強制採択された際にテレビは完全に二分化された。

共謀罪」と報道する局と「テロ等準備罪」と報道する局。

テロ等準備罪とは共謀罪という言い方を嫌った政府が、マイルドに聞こえるように発表した呼び名と言っていいだろう。

報道の使命③の権力の監視という観点からすると、テレビは確実に「共謀罪」というフレーズを用いなくてはならない。

 

澤村さんはずっと取材を続けてきた共謀罪関連のニュースが出る時、「共謀罪」という言葉を使うよう編集にかけ合うが

実際に東海テレビで流れたテロップは「テロ等準備罪」だった。

 

苦笑する澤村さん。

いつからテレビの立場が変わってしまったのだろう。

 

 

 

 

 

②福島アナ

夕方の情報番組『みんなのニュース One』のキャスターを務める福島さん。与えられた役割は全うし、コメントも教科書通りで一切隙がない当時30代の男性アナウンサー。

しかし彼の完璧な立ち振る舞いは、かえってどこか無難すぎるようにも写ってしまう。

自分を出していないような、まるで仮面を被っているかのうような。

 

「今年は福島でいこう」。

東海テレビはこの年、総力を上げて「福島アナ」というキャラクターを前面に押し出していくことに決めた。

局の外壁にはでかでかと福島アナの顔のアップ写真が張り出される。

 

アナウンサーとして大きな成長が問われる一年。

しかしそれでも福島アナの面持ちは少し暗い。

 

圡方監督が福島アナに問い詰める。

何故そこまで慎重なのか、もっと人間性を出してもいいんじゃないか。

 

福島アナが答える。

私は少しでも誰かを傷付ける可能性があるならそんなリスクは負いたくない。

 

圡方監督が返す。

報道する立場にある以上、一切誰も傷付けないことは難しいんじゃないか。

 

 

福島アナ。

そんなことはわかっている。わかっているけど何を言わせたいんですか。

 

 

 

そう言って帰りを待つ妻を気にかけて帰路に着く福島アナ。

彼の人柄が良いのはひしひしと伝わってくるが、何がそこまで彼を閉じ込めているのか。

 

 

 

 

 

 

 

③新米記者 渡辺くん

取材開始からしばらくしてから東海テレビは新しい制作スタッフの募集を始めた。

そこで契約社員として新たに仲間に加わったのが渡辺くん。

 

まだ20代前半であろう彼はどっからどう見てもだらしがない。

小太りな体型、謎にウェッティな髪の毛、くたびれた襟元、どもっていて覇気の無い声、詰められると笑って誤魔化す。

 

その上彼は全く仕事が出来ない。

食レポでは用意したコメントをあまりにも棒読みに読み上げ、不自然な笑顔を見せる。

取材した記事の読み仮名を誤ったまま放送してしまったり、絵に描いたような要領の悪い子といった感じ。

しかしたまに見せる愛嬌がどこか可愛らしくもある。

 

 

そんな彼の休日の趣味は地下アイドルのライブというもう言うことなし満点のオタク。

更にそのアイドルの一言からテレビ業界を目指したというから驚き。

本当にピュアで不器用だけど、もがきながらなんとかこの業界に食らいついている。

 

 

 

自分が担当した「リリースから1年経った今もまだポケモンGOにハマる人」の特集は放送直前になってインタビューに答えた人の顔出しNGが発覚。

当然お蔵入りとなった。

原因は完全に渡辺くんの伝達ミス。

一人で謝罪しに行く羽目に。

 

 

派遣社員という立場上、この一年で成果を出さなければ次の更新はないかもしれない。

そんなプレッシャーの中渡辺くんは汗をかく。

テレビという多忙な業界に翻弄され、激流に飲まれながらも苦闘する渡辺くんに光はあるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

【最悪の放送事故】

映画中盤、物語は一つの出来事をきっかけに大きく深みを見せることとなる。

 

東海テレビは年に一度「放送倫理を考える日」

として東海テレビ全社集会を行なっている。

その集会のきっかけとなったのはかつて東海テレビが起こした最悪の放送事故だった。

 

 

 

 

2011年8月4日東海テレビお昼の情報番組『ぴーかんテレビ』において

当選者発表の際に、東京電力福島第一原子力発電所事故をネタにし、

 

岩手県産ひとめぼれ10kg当選者

怪しいお米

セシウムさん

 

 

などといった信じられないほど不適切なテロップが誤って放送された。
通称「セシウムさん」騒動である。

原因としては当選者が決まる前のリハーサル用に作っていたダミーテロップが流れてしまったということだが、そもそも悪ふざけにしてもあまりにも不謹慎なテロップであるとして東海テレビの信用は他の底まで低下した。

 

当然『ぴーかんテレビ』は打ち切り、問題に関与した社員及び外部スタッフを懲戒処分となった。

 

その『ぴーかんテレビ』のキャスターを務めていた人こそが福島アナだった。

もちろんテロップを作ったのは制作側のスタッフであり、福島アナは直接的には関与していない。

しかし番組の顔である以上番組内で謝罪するのは福島アナ、世間からの批判の声も大量に浴びされることとなった。

 

 

誠実な福島アナはその一件以降、少し控えめに見えるようになってしまったのかもしれない。

「少しでも誰かを傷付ける可能性があるならそんなリスクは負いたくない」

福島アナの言葉に、より重みが感じられる。

 

映画序盤の少し慎重過ぎるようにも見える福島アナの立ち振る舞いは、ここに起因していたのだと明らかになった。

 

 

 

この最悪の放送事故を二度と起こさない為、コンプライアンスを皆が考え直す契機がこの「放送倫理を考える日」である。

 

報道の使命①の「事件・災害を伝える」から大きく逸脱し、原発風評被害を受ける東北農家の人たちを苦しめるような放送をした東海テレビは今後もその十字架を背負って放送倫理を考え続けなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

【突きつけられる現実】

福島アナが『みんなのニュース One』のキャスターを降板されることが決定する。

「若者のテレビ離れに合わせて若い司会からベテランの司会へ」という説明だったが、

福島アナで勝負したこの一年、もっと違う一面が見えたら結果は違ったかもしれないと思わざるを得ない。

福島アナの瞳はどこか潤んで見えた。

 

 

そんな中福島アナは取材で訪れた「弱いロボット」を扱う先生の話に耳を傾ける。

弱いロボットとは「人間が言ったことを繰り返す」や「ゴミを拾う」などといった与えられた仕事を完遂出来ないローテクノロジーのロボットのこと。

 

実際に取材に行った時にもオウム返しすら出来ないちょっとポンコツなロボットたちが登場。

「出来ない」からこそ人が助けてあげたくなる、そこで人とのコミュニケーションが生まれる。

ポンコツだけど愛くるしくて憎めない。

そんなロボットたちは福島アナにとっては新鮮に映ったように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

新人記者の渡辺くん。

彼はなんと一年で東海テレビとの契約が切られることとなってしまった。

クビが宣告されるシーン、こんなもの流していいのかと目を塞ぎたくなった。

 

 

使えない者は切り捨てられる。

契約社員と正社員の格差。

同じ現場で働いていてもその差は歴然。

給料も違えば年度変わりを迎える気持ちも全く違う。

渡辺くんは毎日の暮らしにも余裕がないらしく、頼み込んで先輩にお金を借りるシーンすら放映されている。

 

 

 

 

「一年と短い期間でしたが今日で渡辺くんは卒業となります」

 

 

 

拍手で送り出され、渡辺くんは花束を受け取る。

 

クビではなく卒業?

なんだその言い回しは。

ベテラン記者の澤村さんは首を傾けながら渡辺くんの肩を叩く。

同じ契約社員の身として渡辺くんには色々思うことがあるようだ。

聞けば渡辺くんの次の現場は決まっていないらしい。

 

 

 

 

 

苦難・葛藤・挫折。

テレビ業界で生きる者のリアルは観るに耐えないほど辛いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

【そして未来へ】

福島アナは担当していた『みんなのニュース One』の後継番組で、スタジオを飛び出しリポートする立場になった。

街を回って現地の魅力を引き出す役割だ。

 

ふらりと立ち寄った商店街では昼間からビールを飲むお婆ちゃんに遭遇。福島アナにもめちゃくちゃビールをすすめてくる。

「仕事中なので」と何度も断ろうとするが、にゴリ押しでビールを注ぐお婆ちゃん。

根負けしちょっとだけ飲んだ福島アナに、「もっと飲め」と更に追加でビールを注ぐお婆ちゃん。

 

福島アナの人の良さと街の人の温かさが伝わる、非常に人間味のあるリポートだった。

放送室で見守る編集スタッフたちにも「これは面白い」と大好評。

 

福島アナはキャスターという立場で無くなったことでかえって人柄が伝わってくるようになったのだ。

 

 

 

 

 

 

クビになった渡辺くん。

彼はテレビ大阪のスタッフとして流しそうめんの取材に訪れていた。

「何年くらい前からこのイベントをやっているんですか?」

以前より幾分慣れた様子でインタビューをする彼の表情はどこか凛々しい。

 

 

東海テレビでの失敗は決して無駄ではない。

なんとか同じ業界に留まって、不器用ながらもまた経験を積んでいる。

もしかしたら彼の憧れのアイドルとテレビという仕事において会える日もそう遠くはないかもしれない。

 

報道の使命②で守られる対象とされる弱者だった渡辺くんは、ゆっくりではあるが着実に成長している。

 

 

照り付けるような太陽の中坂道を上る彼の背中は少し大きく見えた。

 

 

 

 

 

ベテラン記者の澤村さん。

高層マンション建設の一件において共謀罪関連で逮捕された一般人男性と、メディアについての講演会にて再会する。

 

一般人男性は無罪放免となっていて、通信の自由や表現の自由が守られた結果となった。

「こういう嬉しい結果となったのはメディアの監視のおかげもある」と男性は語る。

 

澤村さんのジャーナリズムによる政府に対する必死の抵抗は報われた形となったのだ。

 

 

 

しかし取材最終日、突然意を決した表情でカメラの裏側の圡方監督に語りかける。

 

「もう言う機会無くなっちゃいそうなんで言いますけどテレビの裏側ってこんな甘っちょろいものなんですか?

なんか美談みたいにしようとしてませんか?」

 

 

 

 

 

 

【演出・作られたストーリーライン】

澤村さんの一言から過去のシーンの裏側がつらつらと映し出される。

 

今までのシーンが嘘だったのではない。

全ては圡方監督の演出だったのだ。

 

撮影に激昂する報道部の上役たち。

彼らを悪者のようにように仕立て上げる。

 

報道の使命を果たせているのか、テレビ業界はこんなものでいいのかと焚き付けて澤村さんに語らせたのも圡方監督だった。

熱いジャーナリズム精神を持つ古い時代の記者、そう見えるように写していたのだ。

 

 

そして無罪を勝ち取った一般人男性には圡方監督がアポイントを取り、意図的に澤村さんと再会させていたのであった。

報道の使命③の「政府の監視」になぞらえて筋書き上を歩かせられていたようなものだ。

メディアを褒めるような発言も、そういった裏側があったと思わざるを得ない。

 

 

 

福島アナの人柄が見えるような成長に関しても、決して福島アナ自身が何かを語ったわけではない。

編集・表情の切り取り方でそういった意図的なストーリーを見させられていた。

キャスターの降板という重たい事実を肯定化ふるような、美しいストーリーを見せられていた。

 

 

 

 

渡辺くんに関しても同じだ。

「弱者を演じてくれ」そのようなオーダーが圡方監督から渡辺くんに出されていた。

渡辺くんにお金を貸していたのは何を隠そう圡方監督であったのだ。

 

報道の使命②の弱者が守られたような演出。

ここで視聴者は騙されていたのか、と衝撃を受けることになる。

 

 

全ては演出。

作り手の後によって視聴者の感情は全てコントロールされてしまう。

 

最後にバンっとタイトルが浮かび上がる。

 

『さよならテレビ』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【感想】

ふざけんなと思った。

ドキュメンタリー映画だと思って観ていたらサスペンスだったのかというような驚き。

いや、この映画がドキュメンタリーだということに間違いはないだろう。

 

澤村さんが熱いジャーナリズムを持っているのも、渡辺くんが仕事が出来ないのも全て事実。

でも切り取り方でそういった印象を付けるというのも容易なのも事実だ。

2時間の取材を5分にまとめないといけない時、どうしたって作り手の意図は関与してくる。

「ここは重要、ここは重要じゃない」といったものは言ってしまえば作り手の意図であり、構成の枠内に収まる。

テレビといつメディアの性質上、その鎖からは逃れられない。

もし本当の本当にリアルだけを求めるなら、編集されたものなど見ることは出来ず、ライブ配信を垂れ流すことが正解になってしまう。

 

 

 

だとしてもこの裏切られた感はどう言葉にしたらいいのだろう。

2時間近い前フリの末、どんでん返しが待っていた。

我々がピエロで嘲笑われるような最後の演出。

してやられた。

 

 

結局この映画は何が言いたかったのか、いくら考えても未だに落とし込めない。

 

圡方監督のインタビューによると決して明確なメッセージというのはなく、むしろそういった「テーマ」というものの必要性を感じていないようだ。

作り手側が用意した「模範解答」ではなく、受け取り手がどう感じたかという自由度に任せたいとのこと。

んーなんとも腑に落ちない。

こう思ってしまうのは私がまだ圧倒的に受け手よりの人間だからなのだろうか。

 

 

ショッキングで、革新的で、挑発的で、面白い発想の映画だと思ったからこそ明確な答えを求めてしまうのはいけないことだろうか?

 

 

 

 

個人的にはドキュメンタリーと題打とうが制作するという都合上、どうしても作り手の意図は反映されるし、それがテレビ。ひいてはメディア。

伝えるということの本質はそこにあって、我々は普段の会話でも情報を取捨選択して伝えている。というように解釈した。

 

 

例えば「今日降水確率が80%だ」という話を人にする時は「雨が降りそう」と表現する人が多いだろう。

それはわざわざ確率まで言う必要を感じなくて、自らが得た情報の印象だけを伝えているということだ。

 

その延長線上に全てのメディアは存在しているのかもしれない。

 

 

 

こんなクソ長い文章を書くほど考えさせられて感情を揺さぶらる機会というのは滅多にないし娯楽の映画としてはかなり楽しめたが、

行きすぎた演出の結果がやらせ問題や、フェイクニュースに繋がると思うと頭ごなしにこの作品が良いものだとは言えない。

 

こんな演出をされてしまっては結局「セシウムさん事件」に関しても最終的には東海テレビが心から反省していると感じる人は少ないだろう。

しかしだからこそ意味のある映画なように思う。

 

 

 

 

テレビというメディアが衰退していった今だからこそ、テレビが大好きだった私だからこそ、過去最長に長い分を書いてしまった。(大半はストーリーの説明だが)

久しぶりにメディア学科生に戻った気分だ。

 

 

 

テレビでも、ラジオでも、雑誌でも、新聞でも、受け取り手の感情を大きく左右してしまうからこそ、その覚悟は半端なものでは許されない。

そう改めて思えたという意味ではこの映画との出会いは良いものであった。

 

 

ありがとう、シネ・ピピア