お尻を出した子一等賞てなんやねん

くまの子みていた かくれんぼ
お尻を出した子 一等賞
夕焼けこやけで また明日 また明日

いいないいな にんげんっていいな
おいしいおやつに ほかほかごはん
子どもの帰りを 待ってるだろな
ぼくも帰ろ お家へ帰ろ

でんでんでんぐりがえって バイバイバイ

 

 

 

これは童謡『にんげんっていいな』の歌詞である。

そもそもこの話は熊の子目線で語られており、人間の子供たちの温かい暮らしを羨望の眼差しで眺めている心情を歌っているのだ。

 

 

が、誰もが気になるのは「お尻を出した子一等賞」という謎のフレーズ。

もちろんかくれんぼにはそんなルールは無い。

社会的規範を考えた時に、お尻を出した子が優遇されることなんてあってはいけない。

かくれんぼはそんな露出狂製造遊戯ではない。

 

むしろお尻を出す行為はかくれんぼにおいて、見つかるリスクを大きくする愚行だといえるだろう。

 

 

 

 

【スーパーポジティブシンキング理論】

この謎を解くには2番の歌詞を見ていく必要がある。

 

もぐらがみていた 運動会
びりっ子元気だ 一等賞

 

 

これが2番のAメロ部分の歌詞である。

運動会でビリにもかかわらず元気な子供について歌っている。

実際にはビリであろうと気持ちでは一等賞だぜと、そういった意味であろう。

 

これを1番に当てはめると

「かくれんぼでお尻を出して即見つかったけど気持ち的には一等賞だぜ!」

こんなところだろうか。

 

これが「お尻を出した子一等賞」の通説といわれる『スーパーポジティブシンキング』理論だ。

 

2番と対応しているというかなり現実味のある理論に思える。

 

 

 

 

 

【諸刃の剣理論】

せっかくなのでここで自論を挙げたいと思う。

題して『諸刃の剣』理論。

個人的にはスーパーポジティブシンキング理論には一つの欠点があると考えている。

それは「なぜお尻を出したのか」が不明であるという点だ。

 

2番の歌詞の子が運動会において全力を出した結果、ビリになってしまったのはしょうがない。

しかし1番の歌詞の子がかくれんぼ中にお尻を出すのはあまりに奇天烈で理解に苦しむ。

前述した通り、お尻を出す行為はかくれんぼにおいては愚行と言わざるを得ない。

 

 

 

しかしここで思い返して欲しい。

 

https://papiconoco.hatenablog.com/entry/2020/03/31/214515

 

 

 

これは3月末の私のブログ、タイトルは「怪奇!ズボンビリビリお尻丸出し成人男性」。

そう、最低な題名である。

 

ここでは私のスーツのズボンが破けあわやお尻丸出しになってしまいそうだったが、人の目を避けなんとかスラックスを購入するまでの一部始終が載っている。

 

この時の私の足捌きは見事なもので、背を取られまいと気配を殺すその立ち回りはゴルゴ13のようであったと自負している。

 

ここまでの立ち回りが可能だったのはなぜか。

そう、ズボンが破けていたからに他ならない。おかしなことを言うようだが、私はお尻が見えそうな状況だからこそお尻を見せないことが出来たのだ。

 

つまりお尻を見られてはいけないという枷をかけることにより極限まで集中力を高め、通常時を遥かに超えるパフォーマンスを発揮したということだ。

 

 

 

 

ここで本題に戻ろう。

私の見解では1番のお尻を出した子はわざとお尻を出すことによって

他の子の「見つかりたくない気持ち」を大幅に上回り、最終的に一等賞に輝いたのではないかと考える。

 

お尻なんて見られたいわけがない。

当然だ。

 

絶対に見つからまい!という決意で、ケツを出したのだ。

そしてそれに気付いたのは森の中から見ていた熊の子だけだった!

 

つまり「お尻を出した子」は他の子供たちからすると「お尻を出した子」ではなかったと考える。

彼は最後まで見つからなかったのだから。

 

 

 

 

 

こんなアホなことを考察できるのも人間だからこそかもしれない。

にんげんっていいな。