結局おかんのカレーは超えられない
前の会社にいた時、同期5人くらいで昼休みに会社から歩いてすぐのカレー屋さんに行く機会があった。
そのお店は本格インドカレーがウリで雑誌で特集されるほどの人気店。
昼休みになってすぐに会社を出たのに店にはもうちょっとした人混みが出来ていた。
我々5人が入店してからどっと人が増え、いいタイミングで入れたと一息。
店内もインドっぽい装飾と小物で溢れ、
店長は「インドに行って人生変わりました」みたいな感じのナチュラル系髭イケメン。
全てがお洒落な空間だ。
胸を躍らせメニューを開く。
あまり覚えていないがひよこ豆のカレーなんかがあった気がする。
どれもあまり見たことないものだったので悩んだが、結局スペアリブの入ったカレーを頼む。
値段はそこそこしたが、1000円ちょっとでインドに行けるなら安いものだ。
カレーを待つ間永遠にも思える時の中、皆思い思いにインドっぽいトークをする。
今か今かと待ちわびたカレーがやっと到着。
一口。
うん、うまいけど…うん。
全員その場ではほとんど感想を言わなかった。
店から出ると、入った時の数倍人が列を成していた。
会社への帰り道、本音がポロリ。
なんか…ようわからんかったな。
これが全てだった。
多分美味いし、エスニックな雰囲気とスパイシーさにハマる人もいるのも理解は出来る。
ただカレーを食べるというよりお洒落な空気を楽しんでいる感じがしてならなかった。
これが本場なのか…。
本格インドカレーの感想はなんとも微妙な後味だった。
一週間後、同じ5人は再びカレー屋に訪れることとなる。
いや、正確にはカレー屋ではない。
次に向かった店は正確には喫茶店なのだが、ランチタイムのカレーが美味すぎて昼休みの会社員に爆発的人気を誇るというお店だった。
一歩店内に入る。
汚い店だ。
切れかかった照明。壁や床は若干油ギッシュ。
おばちゃんが声を枯らしながらオーダーを通し、汗だくで走り回る。
全体的にホコリっぽい。
食欲をそそる箇所など一つもない。
しかしなぜだろう。
本来なら食欲は失せる要素しかないはずが、理性とは反比例して空腹感は増していく。
たまらなくカレーが食べたい。
否、食いたい。
下品にカレーをかっ食らいたいのだ。
メニューを開く。
メニューの写真は色あせていて、どんなカレーなのかわかりゃしない。
ただ関係ない。適当に美味そうな響きのものを頼むだけ。
「カツカレー大盛り、チーズとほうれん草トッピングで」
アホみたいな注文、だがこれが正義。
値段も安い。
大盛りでプラス100円なら大盛りにしない道理がない。
カレーを待つ間永遠にも思える時の中、インドっぽいトークなんてするはずもない。
既に5人のIQは小学生レベルまで低下。
「腹減った」「はよ食いたい」
これ以上の言葉など持ち合わせていない。
そして我々の気持ちを伝える言葉はそれだけで十分なのだ。
今か今かと待ちわびたカレーがやっと到着。
いただきますをする余裕もない。
ルーとご飯を乱暴に口に放り込む。
「美味いっっつ!!!!」
声に出てしまった。
これだ。これなのだ。
ドロッドロで透明度0のルー。
ゴツめに切られたじゃがいも。
トンカツの肉汁。
全てを抱擁し平和を生み出すチーズ。
このカレーが鉄板だ。
日本生まれ日本育ち仲良い奴は大体友達の我々にとってこのカレーこそがカレーだ。
本格派のカレーは美味いけどよくわからなかった。
このカレーは知っている。産まれた時から知っている。
何度も食べてきた味。
そう、おかんのカレーだ。
ここでいうおかんは私の実の母親のことではない。
概念としてのおかんだ。
皆に存在する「母」という概念としてのおかん。
初めて来たけれどこのカレーは20年間食べてきたカレーなのだ。
いつか本格派インドカレーの良さも分かるかもしれない。
でもそれは今じゃなくていい。
今はただ何も考えずこのカレーを食うことだけに脳を使いたい。
無言で夢中で5人はカレーを食らい続けた。
大盛りのカレーの皿は気付けばもう空だった。
会社への帰り道、膨れた腹に比例して皆の表情は穏やかだった。
あれから色んな種類のお店にも行って日本カレーっぽいもの以外も味わい、
今はそれぞれの良さがわかるようになったと思う。
どんなカレーも美味い。
ただ結局おかんのカレーは超えられない。