あぁ半年
10月に初めてマイクを握ってから早くも半年の時が流れた。
10月と4月は番組の改編時期で、大体半年が一つの区切りとなる。
今日は半年間お世話になったFM宝塚『たからづか8丁目35番地』月曜日の最終回。
といっても私は同じ番組の木曜日に移動するだけでFM宝塚とお別れになるわけではない。
だから本当にお別れするのは月曜日のサポーターや月曜収録の方々。
そして一緒に番組を担当させて頂いたあやぴーこと田中綾香先輩。
本当に濃密な半年間だった。
一年前大卒で就職した会社を辞めた。
「司会とかMCをやりたい」
そんなザックリとした希望はあったけれど具体的にビジョンが見えていたわけではない。
スクールに通い始めたのもほんのきっかけに過ぎなくて、上手くいく自信も予感もハッキリ言って全くなかった。
自分の選んだ道は正しいのかわからなかった。
大学の同期が大企業に就職し、徐々にその地位を上げている。
後輩たちも同じようにそれに続いている。
普通の一般企業じゃなくても、もっと若くからタレントという世界を目指している人もいる。
不安要素・やらない理由を挙げればキリがない。
しかし1年間会社に通ってみて全く楽しいと思えなかったし、私の人生をこれに捧げてはいけない気がした。
私の選択が正しかったのか。
それは未だにわからないけれど、いっそわからなくてもいいと思っている。
今はこの仕事をさせて貰って楽しいとハッキリ言うことが出来るから。
スクールからの案内を受け、訳もわからないまま8月にFM宝塚のオーディションを受けた。
オーディションを受けたのは人生で初めての経験だった。
きっと技術的にはめちゃくちゃ拙かったと思う。(というか今もめちゃくちゃ拙い)
それでも運良く合格することが出来たのは何か巡り合わせのようなものなのかもしれない。
10月に電波デビューを果たした。
前任のゆみりんさんも現場経験0の私を気遣い、予めめちゃくちゃ丁寧に教えてくださった。
ただやはり本番は本番で、アガってしまうのが人の性。
始まってしばらくは緊張のせいか前日ほとんど寝れなかった。
私みたいな素人が本当に喋ったいいのだろうか。
そう思いながらマイクを握った。
しかし、その考えは改めなければならないとすぐに気づいた。
毎週リポートする宝塚市のお店の方々。
番組の構成上直接お話をすることはほとんどないけれど、毎週スタジオにいらっしゃるゲストの方々。
そしていつも楽しみに聴いてくれているリスナーの方々。
皆さん私の喋りはプロだと思って話を聴いてくれる。
マイクを握ったその瞬間から私はプロでなくてはならない。
番組をやっていく上でディレクターやあやぴーさんには本当に色んなことを教わった。
噛んだり、変な表現をしたり、言葉に詰まったり、口が悪くなったり、スベッたり、電車の乗る方面を間違えて盛大に遅刻したり、コーナーがしょうもなかったり…
自分の拙さ故に迷惑をかけることが多々あったけれど、全て受け止めてくれた。
この半年間は本当に刺激的だった。
たった週に一度、されど週に一度。
たった半年、されど半年。
放送中の3時間半はもちろんだが、準備の時間及び放送後の反省会やブログ執筆にいたるまで…
全てが私にとってウィルキンソンのような強炭酸だった。
その全てが身体に染み渡り、会社に勤めた1年間とは比べものにならないほど経験を積めたと思う。
そして初めて一緒にお仕事をさせていただく先輩があやぴーさんで本当に良かったと思う。
時間管理・言葉の表現・イントネーション・礼儀・ボキャブラリー。
全てがプロフェッショナル中のプロフェッショナルで隣でいつも感動していた。
私の悪い癖で、何か問題にぶち当たった時勝手に自分で解決しようとする節がある。
客観的に見ればてめぇみたいなケツの青いぺーぺーが何も出来るわけないのだから甘えれば良いいはずだが、
プライドが高いのか不器用なのかわからないが人に相談しないのは本当に良くない。
今になってもっともっと質問すれば良かったと深く後悔している。
こんなにも早く半年は過ぎて、もう会う機会が無くなってしまう。
こんなにも頼りになる先輩はきっと滅多にいない。
今日いただいたお手紙を読んで自分を奮い上がらせた。本当にありがたい。
毎週は会えなくなるけれどいっぱい相談しようと今勝手に心に決めた!
これはさよならじゃなく、次に進む為の一つの区切りだ。
ONE PIECEでいうなら偉大なる航路(グランドライン)突入。
NARUTOでいうなら中忍試験が終わり、サスケ奪還に向かう。
最高の半年間をありがとう。
そしてこれからはもっと最高の時間を自ら作り上げる。
わい木曜にいってもがんばりまんでぇぇええん。