一人暮らしには広すぎる

今日は父方の祖母の誕生日であり、なんと偶然私の母の誕生日でもある。

 

祖母は今日で88歳。

米寿のお祝いの為、母と私は一人暮らしとなってしまった大阪の祖母の家を訪れた。

寝室の祖父の仏を拝んだ後、3人で慎ましく食事した。

 

 

 

8人兄弟の長男だった祖父。

工務店を営んでいた頃は若手の大工も寝泊りしていたそうだ。

その数およそ13.4人。

2階建の木造建築にはおよそ入るとは思えないほどの人数だ。

しかも昔の建築だからか今の基準と比べて天井は低いし通路は狭いし本当にそんな数の人間が暮らしていたとは信じがたい。

 

ただ、今は祖母の一人暮らし。

一人暮らしをするにはあまりに広すぎる。

 

 

 

祖母は近所の老人会や教会の集まりなどに参加している。

 

最近はコロナウイルスの影響でそういった集会は一切開かれていないという。

買い物にでも行かない限りは基本的に家でずった一人なわけだ。

 

 

 

3人で会話をしていても度々訪れる沈黙。

決して人通りの多い場所ではない為、今日のような風の強いは玄関の戸が揺れるのがよく分かる。

私と母が帰って祖母が一人きりになってからもこの沈黙がずっと続くと思うと、寂しいに違いないとやり切れない気持ちになった。

 

洗い物をやろうとしても「いいからいいから」と自ら動く祖母の背中はとても小さかった。

 

 

 

 

 

 

 

祖父が体調を崩しがちになってから数年。

祖母は自らの健康よりずっと祖父の健康を優先して過ごしてきた。

特にこの1.2年は常に気を配っていたに違いない。

 

祖父が亡くなって、寂しくなったけども内心少しホッとした

と祖母は語った。

 

 

当然といえば当然なのだろう。

このままずっと祖父の面倒を見続けていたら祖母の方まで体調を崩してしまう。

本人もその危機を常々感じていたようだ。

 

ずっと一番近くで看病し続けた者からしか聞けない、心の本音だと思った。

祖父も祖母のことを思って休むことにしたのかもしれない。

 

 

 

 

最後にもう一度祖父にお手を合わせて、祖母の家をあとにした。

未だに部屋に残る線香の香りが儚くも芳しかった。