一年生になったら
以下は童謡『一年生になったら』の歌詞である。
いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな
ふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと
お分かりいただけただろうか?
一年生になって友達が100人出来たのであれば富士山の上でおにぎりを食べるのは自分を合わせて101人のはず…!!
そう、一人謎の失踪を遂げているのだ…!
真っ先に考えられるのは友達が登山の過程で一人居なくなったというケース。
そもそも富士山登頂は小学一年生にはかなりハードルが高い。
単純に一人消えてしまったとまでは行かなくとも途中で下山している者がいてもなんらおかしくはない。
どころか全員が登り切る方が不自然なように思える。
しかし、これではあまりにも救いがない。
子供に歌わせる童謡としては不適切なように思える。
また、こういう都市伝説的な話になった時に必ず挙がる意見として「自分」が仲間外れにされていて本当の友達じゃないというパターン。
これは普通に意味がわからない。
主人公が100人で食べたいと言っているのだから論外だ。奇をてらっただけの的を射ていない考えだと思う。
個人的には「友達が登山途中に恋人になった説」を提唱する。
富士山という前途多難な道を行く中で、互いに助け合い支え合って友情を超えた絆が芽生えた二人。
特別な関係になるのにそう時間はかからなかった…。
頂に着く頃には二人は手を繋ぎ、友達から恋人へと変わっていた。
100人の友達と1人の恋人で食べるおにぎりは、今までで一番美味しかった。
こういうストーリーなら平和的で全員が幸せである。
LOVE & PEACE
今日のブログで伝えたいことはそれだけである。