祖父の命日
今日父方の祖父が死んだ。
90歳だった。
元々複数の持病を抱えていて過去に何度か入院したこともあったが今は家で暮らしていた。
しかし一昨日の夜に突然容体が悪くなり、昨日の早朝に緊急搬送されたそうだ。
私がそれを聞いたのはラジオの生放送が終わってからだった。
気にしないように気を配ってくれたのかもしれない。
学校が終わり大阪の病院に駆け付けたのは21時半頃。
祖父には沢山の管が繋がれていて、今までドラマでしか見たことがなかった心電図とやらも初めて目にした。
祖父は常に肩で息をしていて一呼吸するだけでも苦しそう。
聞けばかなり無理をしていたようで、肺の片側は真っ白だったそうだ。
血色も決して良いとはいえず、足も酷く痩せ細っていた。
手を握ると少しだけピクッと動いた。
ただ私が着く前はもっと酷かったらしく、これでもかなり落ち着いたとのことだった。
祖父が眠りについている間は安定していたが、眠りから覚めると、管が鬱陶しいのか取ろうとしたり、何度も寝返りをうったりで酸素供給量が不安定になってしまった。
落ち着くまでは見守ろうと一緒にいたら、終電が無くなってしまった。
結局私はタクシーで帰ったが、父親だけは簡易的なベッドを用意してもらい、部屋で寝ることになった。
今朝、父親からのメールで目が覚めた。
容体が急変したとのことだった。
急いで準備をしたが私が最寄りの駅に着いた頃に父親から祖父の訃報が告げられた。
間に合わなかった。
病院に着くと弱々しくはあったものの確かに昨日まで懸命に生きていた祖父は、ピクリとも動かなくなっていた。
安らかな表情だった。
母方の祖父は私が産まれる前に既に亡くなっており、私からすると祖父母が亡くなるのは初めての経験だった。
共働きである私の家庭は、両親の仕事の都合によっては保育所の私の送り迎えを祖父に頼むことも多々あった。
私が体調を崩した時に看病してくれたのも祖父だった。
祖父が亡くなったと聞いて、湧き出てくる感情の名前がわからなかった。
悲しいといえば悲しい。
虚しいといえば虚しい。
切ないといえば切ない。
苦しいといえば苦しい。
ただどれもピンとくる表現ではなく、自分の語彙の少なさを恨んだ。
祖父の死は決して突然ではなかった。
数年前から体調が優れないことは聞いていたし、何度か病院にお見舞いにもいった。
昨日の時点で覚悟はしていたし、大きく回復することがないこともわかっていた。
それでもいざその時がくるとわからないのだ。
やるせない、という表現が一番近いかもしれない。
私はなにもしてやれなかった。
手は握った。声はかけた。生きて欲しいと強く願った。
それが祖父に届いていたのかすらわからない。
祖父は朦朧とする意識の中でなにを思っていたのだろうか。
今となっては知るよしもない。
祖父にとって私は何者だったのだろう。
折角勉強して大学に入って、体育会で日本一を目指して、上場企業に就職して。
にもかかわらずそれを一年で辞めて。
週に1度のラジオを振りかざして実質フリーターと変わらないじゃないか。
「司会業やMCを目指して学校で勉強してます!」とか
「10月からラジオのパーソナリティを務めている新人です!」とか
そんなことを言って24歳という年齢を告げると大抵「まだ若いね」という言葉をもらう。
事実それは間違ってはいないと思う。
ただ私は気付いていなかった。
私が歳をとっている間に、祖父も歳をとっているということに。
私の一年の重みと祖父の一年の重みは違う。
時間は限られている。人は死ぬ。
今まで自分の人生だから好きにやればいいと、ありきたりなセリフを何度も吐いてきた。
違う。
自分が両親や祖父母に生かされてきた時点で、世話をやいてもらった時点で、私一人の人生ではない。
充実した姿を、満足した一日を、幸せな顔を見せてやらねば育ててもらった借りは一生返せない。
祖父の死が今の自分の置かれている状況を再度見つめ直すきっかけになった。
私がケータイをいじってぼーっと過ごした一日は、祖父が必死に生きようとした一日だ。
恥の無い人生を送るため、努力の積み重ね。
私はやらなくてはならない。
絶対に売れっ子になってみせる。
最後に。
おじいちゃん今までありがとう。
ゆっくり休んでな。