飛ぶ鳥を落とす勢いが気に食わない
飛ぶ鳥を落とす勢いという言葉。
私はすごく違和感を覚える。
この慣用句を初めて聞いたのは確か小学校の時見ていた日本テレビ『エンタの神様』のナレーションのセリフだった。
「今飛ぶ鳥を落とす勢いなのは〜このコンビ〜
当時芸歴1〜2年目の超新星として登場したオリエンタルラジオの紹介だった。
(いかんせん15年くらい前のことだから間違っていたらすんまそん)
当時の少年松坂が
「こんなブレイク中のコンビが''落とす''っていうのはなんか変やな」
と思ったのが未だに脳裏に焼き付いている。
飛ぶ鳥を落とす勢い。
由来は別に難しくない。
空高く飛んでいる鳥さえも落とすほどの
すごい力を持っているということから
不可能なことを可能にするほどの力があるという意味だ。
でもなんだろう。
「落とす」という言葉の響きが
勢いが右肩上がりの者に対して使うのに不自然さを感じさせる。
勢いはあるはずなのに「落とす」のせいでパッと聞き勢いが落ちるように感じる。
もし私が同じような言葉を考えるなら
「飛ぶ鳥に負けず劣らずの勢い」とか
「飛ぶ鳥が追い風に乗るような勢い」とか
シンプルに「飛ぶ鳥のような勢い」とかにするはずだ。
わざわざ落とすというネガティブっぽい単語を使うことによって語感で意味が伝わりにくく、なんとなくブレて聞こえてしまっている。
同じような意味の「破竹の勢い」なんて非常にわかりやすい。
なんといっても勢いよく竹が弾けているのが目に浮かぶ。
それに比べてなんだ「飛ぶ鳥を落とす勢い」って。
正直よくわからん。
不可能なことを可能にするという意味で使いたいなら
飛ぶ鳥に捕まって蝦夷まで行く勢いとか
飛ぶ鳥の羽毛で布団を織る勢いとか
飛ぶ鳥の骨だけを抽出し、鶏ガラスープを完成させる勢いとか
くらいもっとすっとんきょうな例えにしなければ。
中途半端に実現可能そうな飛ぶ鳥を落とすは最悪のチョイスだと思う。
これから松坂が飛ぶ鳥とデッドヒートを繰り広げる勢いになれるよう、頑張ります。