駅前でカラオケする奴
四条や三宮に梅田、関西でも有数の都市では駅前にミュージシャンが出没する。
ゆずやコブクロなどストリート上がりでスーパースターになったアーティストも数知れず。
彼らの背中を追いかけ、歌手志望たちはギターをかき鳴らす。
路上ライブは夢への第一歩だ。
しかし駅前でミュージシャンと称してカラオケをしている人たち、彼らの意図がよくわからない。
ミュージシャンはみな大なり小なりなにか表現したいことがあってそれをメロディーに乗せて歌っているものだと勝手に解釈している。
が、彼らは人のふんどしで相撲を取る。
演奏をしているならまだいい。
音源流して本当にただ歌だけ歌っているのは不思議で仕方ない。
よく見るYouTubeの「歌ってみた」系の動画と同じものだと思うのだが、あれは元々何かしらの方法で有名になった人がやるから価値があるのであって
無名の新人の「歌ってみた」はただのカラオケと同じだ。
ミュージシャンという言葉の定義自体が曖昧だが、彼らは本当にミュージシャンか?
アカペラだったり、バージョンを変えたり、何かアレンジを加えたりで個性を出すというのならわかる。
全く知らない曲より聴き馴染みのある曲の方が
立ち止まって聴いてもらいやすいだろう。
だから自分を表現するための手段として、あくまで一旦気を引くためのカバーソング。これならわかる。
だが何を足すでも引くでもなく、ただ原曲の音源を垂れ流し、そこに自分が歌を乗せるだけなのは本当にカバーか?カラオケじゃないか?マスターベーションにすぎないんじゃないか。
という批判的な言葉が吐いた自分に戻って来て、喉元に突き刺さる。
私も個人としてメディアに出ようとしているという広い意味では彼らと同じような状況にある。
自分の喋りは誰かの真似事になっていないか。
カラオケをしてしまってはいないか。
客観的に見てみないとわかるはずもない。
人のことを批判する暇があったら自分を磨かなくてはならない。
こんなん言うてるだけやったらあきまへんな。
彼らの歌がカラオケだとしても、カラオケボックスでカラオケしてる人よりは一歩進んでいるのは間違いない。
私もそろそろカラオケを脱却せねば。
延長は不要だ。